2011年に開始し、2022年以降は開店休業中の私のgooブログですが、gooブログ自体が2025年11月18日にサーヴィスを終了することになりました。
当初は、何千本も書いた記事はそのまま消えていってもよいと思ったのですが、自分で書いておきながら個人的に興味深い記事は、ひとまずこちらにコピペしておくことにしました。
基本的には当時書いた文章の修正はしないので、知識・経験不足からくる奇妙な点もあると思いますが、ご了承ください。
※画像は2025年11月19日以降は表示されませんが、もし時間があれば表示できるように再アップします。
※本記事は、2020年5月2日に投稿した記事です。
2020年5月1日(金)の探訪レポート
ほぼすべての墳丘がなくなってしまった古墳群を彷徨い歩き、「砧小学校」交差点まで来ました。
地図を見ると、ここから北東方向に一直線に伸びる道路があります。

そのまま地図上で追っていくと、環七と丸ノ内線が交わるあたりまで伸びていますね。
また反対方向の南西の多摩川方面にもこの道の続きらしき一直線の道があり砧浄水場に到達しています。
以前、東国を歩く会で羽村の方を歩いた時に見た水道道路に似ていますが、浄水場と繋がっているし、これも水道道路かな?
※帰宅後調べたら、荒玉水道道路という10㎞に及ぶ水道道路でした。
では、つづいて砧中学校古墳群へ行きますが、ここも国分寺崖線の縁の部分にあります。
上から攻めるか下から攻めるか・・・
高低差を確認したいので下から行こう!
世田谷通りを歩きながら右手上方を気にかけます。
ちょうどこの上あたりに古墳群で唯一の前方後円墳である7号墳がありました。

しかし今回も失敗だ。
思っていたよりも高低差があって、世田谷通りと中学校は繋がっていません。
上に登れる道を探します。
無駄に体力を使って本当にアホだなと自虐しつつ、武蔵野面に登りました。
ここも15mほどの比高差がありますよ。
中学校の方へ進みます。

細い道を歩いて行くとさらに幅員が狭くなる場所が見えてきて、その校庭内に古墳らしきものが見えてきました。

あ、3号墳だな!
これです。

墳丘の一部分が残っています。
校庭内を覗くと向こうの方に4号墳が見えますよ。

間近で見たいなあ・・・
登ってみたいなあ・・・
傍から見ると完全なる不審者のように見えているかもしれませんが、この古墳群は有名なので、おそらく誰かに見られても「また物好きなやつが来てるよ」程度に見られるだけだと思います。
ためらうことはありません。
正門の前に来ました。
すると、都合よく中から職員らしき方が出てきたので、校庭内に入る許可を請うとOKをいただきました。
それでは、お邪魔いたします!
まずは道路側にあった3号墳から。

一部分でも残存してくれていて良かった。
わずかでも墳丘が残っていてくれれば私たちはそこに古墳があったということを実感できます。
被葬者だって少しでも形跡を残してくれれば後世の人に完全に忘れられることはないため、その方が喜ぶと思いますよ。
つづいて、砧中学校古墳群のなかで唯一完全に墳丘が残っている4号墳へ行ってみましょう。
お、墳丘に登れるじゃん。

そんなに草ぼうぼうでなくて良かった。

今はあまり眺望が開けていませんが、ハケの上から南を望むとかなり見晴らしがいいです。
※残念ながら撮った写真はブレていて使い物になりませんでした。
少し離れて撮影。

説明板があるので読んでみましょう。

概ねここに書いてある通りで、8号墳まで番号が振られていますが、1号墳は古墳ではないため、現在のところ7基の古墳が確認されています。
ただし、7号墳に関しては以前は前方後方墳と言われており、説明板にもそう書かれているのですが、現在では墳丘長65mの前方後円墳とされています。
というのも、マンション建設のために破壊される前の調査で、「後方部」とされていた墳丘部分が弧を描いていることが分かったため、現在では前方後円墳として紹介されているのです。
出土遺物を見ても東海系のものは出ていません。
築造時期に関しては、4世紀末頃とされ、大田区の新居里(「にいのさと」が正しく「あらいざと」ではありません)古墳が墳丘頂72mの前方後円墳で、時期的にはこちらの7号墳と近いかも知れません。
ですから、4世紀末の多摩川流域の首長墓がこちらの7号墳であるかどうか決めるにはもう少し考える必要があり、荏原台古墳群とこちらの砧古墳群は別々の成立背景を持っているため、それぞれがヤマト王権とどう結びついたのかを含めて、検討すべきことは多いです。
また、砧中学校古墳群には多摩川流域では大変珍しい方墳があるというのも非常に興味深いです。
というわけで、もう少し考察の時間をください。
古墳の分布図。

一部残っている3号墳はこれで見ると4号墳と同じくらいの大きさがありますね。
こちらは「当方滅亡!」

直径37mある4号墳は見ごたえがありますね。

今日の古墳探訪でようやく古墳らしい古墳に来れて嬉しい。

ところで、砧、砧、と言っていると、多摩地域の住人としてはどうしても「きぬた歯科」を思い出してしまいます。
車でどこかへ出かけて帰ってくるとき、各高速道路で都内に入るとすぐに「インプラントはきぬた歯科」の看板が現れるんですよね。
まるで院長先生に「おかえり!」と言われているような気がして、ようやく地元に帰ってきたなあという感慨が湧く看板なのです。
というか、こんなことを考えていて長居するわけにはいきませんから、さっさと退散しましょう。
なお、この砧中学校古墳群を含め、今まで歩いてきた古墳群は最初に訪れた玉川神社古墳をのぞいてすべて砧古墳群という大きなくくりにされています。
つぎもその砧古墳群に含まれる喜多見古墳群を見に行きましょう。
