【gooブログから】一騎打ちの死闘を演じた後は恨みを後世に残すことなく仲良く談笑しました【神奈川県埋蔵文化財センター・大塚歳勝土遺跡・横浜市歴史博物館・茅ヶ崎城跡】

 2011年に開始し、2022年以降は開店休業中の私のgooブログですが、gooブログ自体が2025年11月18日にサーヴィスを終了することになりました。

 当初は、何千本も書いた記事はそのまま消えていってもよいと思ったのですが、自分で書いておきながら個人的に興味深い記事は、ひとまずこちらにコピペしておくことにしました。

 基本的には当時書いた文章の修正はしないので、知識・経験不足からくる奇妙な点もあると思いますが、ご了承ください。

 ※画像は2025年11月19日以降は表示されませんが、もし時間があれば表示できるように再アップします。

 ※本記事は、2015年8月8日に投稿した記事です。


2015年8月8日(土)の探訪レポート

 本日は、神奈川県横浜市南区にある神奈川県埋蔵文化財センターに出張ってきました。

 いつものごとく、今日は概報をお伝えします。

 ゆっくりと7時20分に家を出て、八王子では横浜線に乗り換えです。

 

 そして桜木町まで行って、今度は横浜市営地下鉄ブルーラインに乗り換えました。

 実は横浜市営地下鉄に乗るのは初めてです。

 八王子と横浜は近代以降は八王子で生産した絹を横浜港から輸出していた関係があって密接な仲だったのですが、私はあまり横浜方面には行かないので、ついに43歳になって初めて横浜市営地下鉄に乗車する機会を得たわけです。

 そして、阪東橋という初めて知った駅で降りて、横断歩道を渡っていると、前方のビルの自動ドアの向こうに、何か高速でシャカシャカ動くものが透けて見えました。

 よく目を凝らして見てみると、メガネをかけてピンクの手袋をしたおじちゃんが自動ドアを拭いていたのです。

 私と同じ、掃除のおじちゃんですね。

 しかしそのスピードの速さには驚きました。

 今まで見たことが無いくらいの超高速で機敏に屈伸を繰り返しながら柔らかい手首で雑巾を操って窓を拭いているのです。

 私も頑張れば最大瞬間スピードでこれくらいは出すことはできると思いますが、それを継続するのは無理です。

 いわば、短距離走のスピードでマラソンを走るようなものですね。

 うちのお店にスカウトしようかと思いましたが、おそらくこれだけの動きができる人なので、社内でも優遇されていると想起され、1000石くらいの知行では心は動かないと思います。

 さて、そんなわけで神奈川県埋蔵文化財センターにやってきました。

 今日はここで、公益財団法人かながわ考古学財団が主催する「平成27年度考古学特別講座 かながわ考古学財団の調査成果から見た相模の中世城郭 -小田原八幡山遺構群と津久井城跡(本城曲輪群地区)-」が開かれます。

 しかし少し早く着いたので、センター内を見学してみると、1階のエントランスのところにも少し展示があったのですが、3階にまとめてなかなかの優品が展示してありました。

 

 ところがです。

 この部屋は冷房を付けていないのです!

 扇風機が1台回っていましたが、熱中症対策が叫ばれているなか、省エネのためにエアコンを付けないというのは、ある種、「この暑い環境で展示品を見るだけ、あなたは本気ですか?」と試されているようです。

 そのような昭和40年代みたいな雰囲気のなか、展示品を見て講義の部屋に入ってみると、すでに腕には玉のような汗が噴き出ていました。

 開始時刻になって部屋を見渡すと、聴講者は100人くらいいましたが、珍しく若者が多いです。

 さて、講義内容はタイトル通りで、今日は簡単に感想を述べます。

 小田原城に関しては、現在中世の頃の石積みはあまり無いのですが、支城である八王子城にあれだけの石積みがあるので、本城である小田原城が八王子城以下であるはずがない、というお話を聴いて、「なるほど」と思った後、「いや、待てよ」と思い直しました。

 というのも、後北条氏時代の小田原城の惣構えの総延長は9kmなのですが、八王子城は実はもっと凄くて14kmあるのです。

 ということは、ご隠居の弟である氏照は、実は本家である小田原城を凌ぐものを作ろうと画策していた、いや野望があった可能性があると私は考えたのです。

 そうであれば、小田原城をしのぐスペシャルな外観を八王子城が持っていても良いのでは?と、会ったことのない陸奥守殿が不敵な笑みを浮かべる様子が頭に浮かびました。

 陸奥守、すなわち氏照はもちろん戦国大名北条氏領の一部を任されているわけですが、その権限はほぼ独立大名に近く、本家も基本的には内政に干渉しないのです。

 ですので、そのような超強力な力を持っていた氏照が何を考えるか、いろいろ面白い想像ができるわけですね。

 氏政・氏照・氏邦・氏規は、一般的には仲良し兄弟のイメージがありますが、古文書を丹念に読んでいくと、決してそのようなほのぼのとした感じではないのです。

 もちろん、他の大名家よりも結束は固かった様子はありますが、それでもやはり兄弟のそれぞれが偉くなると、周りにもいろいろな人が集まってきますし、良からぬ考えを抱いても不思議ではありませんね。

 実際、4人のうち、氏邦はまずお母さんが違いますし、氏照もその可能性があり、そうすると4人とも腹違いという可能性もあるかもしれません。

 本城である小田原城は北条領国内ではあまりにも地理的に偏った場所にあります。

 おっと、これ以上はここでは喋りません。

 次の津久井城跡に関しては、地表面ではほとんど石敷きは見えないのですが、掘ってみると石敷きの遺構がかなりあるということに驚きました。

 しかし私が一番驚いたのは、戦国時代の話ではなく、津久井城跡から平安時代の瓦が一点出ているという点です。

 平安時代に瓦を葺ける建物は、国衙や郡家、それにお寺以外にありません。

 役所関係はまず考えられないので、そうするとあの山には古代寺院があった可能性があるのです。

 そうすると、相模原市の古代末期の様子が格段と面白味を増すのです。

 これ以上はここでは喋りません。

 おっと、またか。

 さて、講義の最後には何とサプライズがあり、「ジャンケンで勝ったら発掘調査報告書を無料であげるよ大会」が行われました。

 私は非常にジャンケンに自信が無いのですが、どうしたことか、今日は1対1でのジャンケンを2回勝ち抜いて、3回目の集団ジャンケンでも勝って、「小田原城跡八幡山遺跡群Ⅱ(第2次調査)」を見事にゲットしたのです。
 

 

 やったー!

 そんなわけで、講義が終わり駅まで戻る途中、駅の近くのすき家に昼飯を食べに寄りました。

 そしてほとんど食べ終わる頃に、一人のお客さんが私の席の隣に来たのですが、何とその方はさっき私と一騎打ちの死闘を演じた方だったのです!

 「おめでとうございます」とその方はにこやかに座り、それから城の話をしました。

 こういう偶然って面白いですね。

 その方は元々山登りから興味が城に行った方なので、普通の城マニアとは違った考えを持っていて面白かったです。

 というのも、「城を見るのは夏が良い」と言うのです。

 普通、城マニアは草が枯れた晩秋以降の遺構の状態がはっきり分かる時期を好むのですが、その方は真夏の樹木の緑色と石垣の黒い影とのコントラストに惹かれるというのです。

 なるほど、見る人が違えば、城跡というのはまた違った魅力があるわけですね。

 今度もっと時間があるときにゆっくりと話したい気分でしたが、20分くらい話をして店を出ると、私はまた地下鉄に乗り、今度はセンター北駅まで行きました。

 せっかく横浜に来たので、以前から行きたかった場所に行くためです。

 その一つ目は、大塚・歳勝土遺跡です。

 大塚・歳勝土遺跡は現在は国史跡の公園になっており、弥生時代中期の集落跡(大塚遺跡)とその墓域(歳勝土遺跡)が復元されています。

 私は以前から述べている通り古墳も大好きなのですが、古墳ができる前のそのルーツとも言えるお墓である「方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)」にも大変興味があるのです。

 しかしなかなか方形周溝墓を見ることはできず、4年くらい前に八王子市教育委員会の方に、「横浜の大塚・歳勝土遺跡に行けば見れますよ」と教えて頂いていたにもかかわらず、ついに今まで行けなかったのが、ついにこの日、念願が叶いました。

 

 本物の方形周溝墓の遺構の上に盛土で復元しているのですが、私は感極まり、しばらく方形周溝墓に見とれていました。

 方形周溝墓は、その名前の通り、方形の低い土盛をして、木製の棺に家長の遺体を収めてその中心に埋めます。

 そして周りには溝が巡っているのですが、溝の中には家族を埋葬します。

 当時はおそらく2人の幼児のうち1人は死んでいたと思いますが、幼児の場合は土器に入れて埋葬します。

 歳勝土遺跡は弥生時代中期なので、まだ各方形周溝墓の大きさはそれほど変わらないのですが、後期の遺跡を見ると、その大きさにも違いが顕著に出てきて、ムラの中での格差が大きくなってきたと考えられています。

 ちなみに、方形周溝墓という名称は、大場磐雄先生(故人)が八王子の宇津木向原遺跡で見つけたものを命名したのが始まりですよ。

 したがって、方形周溝墓は八王子市が名前発祥の土地なのです!

 もしあなたが古墳好きであれば、いずれは方形周溝墓にまで興味が行っちゃうかもしれませんね。

 古墳時代の高塚古墳だけを見て満足していてはまだまだです。

 あ、スミマセン、生意気なことを言って。

 さて、方形周溝墓で心の底から湧きあがる喜びに満たされた後は、隣にある同時代の集落跡である大塚遺跡に行きました。

 大塚遺跡は環濠集落なので、土塁と堀を越えて中に入ると、竪穴式住居が林立している姿が眼前に現れました。

 

 うわー、凄い・・・

 建物の中を覗いてみると、外見はまだ縄文時代チックですが、中には柱があって、梁も渡してあって現在の住居とあまり変わりません。

 そして面白いことにみんな玄関を南に向けているのです。

 しかもムラ長らしき人の建物は一回り大きく、集会所も兼ねていたようで、逆にかなり小ぶりなものもあるので、すでに格差社会は到来していたわけです。

 ちなみに、中世の城郭は空堀の内側に土塁がありますが、弥生時代の環濠集落は空堀の外側に土塁があるんですよ。

 ところで、公園内には私の他、熱心に写真を撮って歩いている方がいたので話しかけてみると、特段歴史に詳しいわけではないけど、買物のついでにフラッと立ち寄ったということでした。

 ただ私と同様、この公園の様子には圧倒されたと仰っていました。

 公園内の最も奥まったところにムラ長の家があったので、その方と話している中で、私は「ムラの一番最奥部に一番偉い人がいたんですね」と話してしまったのですが、後でパンフレットを見てみたら、現在の公園は遺跡の半分くらいの面積だったようで、ムラ長の家の奥にも集落は続いていたようです。

 適当なことを言ってスミマセンでした!

 その方としばらく語り合ったあと、次に向かったのは横浜市歴史博物館です。

 いやー、ここは素晴らしい!

 市の博物館なのに、展示のレヴェルは県立に引けを取りません。

 

 企画展、常設展ともに面白く、1時間半ほど滞在しました。

 もちろん最後はミュージアムショップに入って、いつものごとく資料を大人買いして散財しました。

 はぁ、明日からまた食費を削ろう・・・

 そして本日の最後は、博物館の南、鶴見川の支流・早渕川を挟んで対岸にある茅ヶ崎城跡です。

 横浜市内ではその面白さでは小机城が横綱級とされていますが、茅ヶ崎城も大関級として有名です。

 ところが今まで行ったことが無かったのですが、地図で場所を確認してみると、幸運なことに博物館の近くだったので訪れることができました。

 

 こちらも詳細はまた後日アップしますが、4つの郭からなる丘陵上の城で、遺構の残りも良く、公園として整備されているので歩きやすいです。

 ただ、今は真夏なので草が生い茂ってる場所もあって、それは仕方が無いことですね。

 私も滝山城跡の保全をしているので分かりますが、草刈りをしたくても人手が足りずにできないところって一杯あるんですよね。

 でもこれだけきちんと見れるようになっているので、とてもありがたいです。

 ちょうど最後にエントランス部分の説明板を撮影して帰ろうと思ったところでデジカメの充電池が無くなり、今度は「グリーンライン」に乗って中山駅まで移動、横浜線、ついで中央線を乗り継いで高尾まで戻ってきて、お腹がペコペコだったのでたかお食堂で中瓶を一気に空けて、大好物のカレーを食べて今日も無事に死なずに済みました。

 明日も掃除は休みだ、わーい、と思いたいところですが、夜は歯医者に行って歯石取りをするのでちょっと憂鬱です。

 歯石の除去って痛いんだよねえ。

 史跡の翌日は歯石。

 いや、このダジャレの方が痛い。

 

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