2011年に開始し、2022年以降は開店休業中の私のgooブログですが、gooブログ自体が2025年11月18日にサーヴィスを終了することになりました。
当初は、何千本も書いた記事はそのまま消えていってもよいと思ったのですが、自分で書いておきながら個人的に興味深い記事は、ひとまずこちらにコピペしておくことにしました。
基本的には当時書いた文章の修正はしないので、知識・経験不足からくる奇妙な点もあると思いますが、ご了承ください。
※画像は2025年11月19日以降は表示されませんが、もし時間があれば表示できるように再アップします。
※本記事は、2017年10月6日に投稿した記事です。
2017年10月6日(金)の探訪レポート
明日はクラブツーリズムが催行する甲州道中歩きのうちの、内藤新宿~高井戸間をガイドします。
その区間は車ではたまに走りますが、歩いたことはありません。
さすがにガイドをするなら下見に行かないと不味いですよね。
でも、下見の時間を確保するのが難しく、結局苦肉の策で、休日に出勤する代わりの休みを今日いただいて、チョロッと歩いてきました。
本日はその模様をごく簡単にご紹介します。
* * *
天気予報では今日は午後から雨が降るらしいので、雨雲に襲撃される前に下見を済ませるべく、5時53分高尾発の京王線で新宿へ向かいます。
電車に乗ると、資料を読むまでもなくすぐに睡魔に襲われ、気づくともう明大前でした。
眠っていると一瞬ですね。
新宿で下車し、明日の出発地点と同じく、まずはJRの南口改札前へ向かいます。
おや、今日もクラツーのツアーが出ているんですね。
旗を持った方が立っていらっしゃいます。
時刻は6時55分。
それでは歩き始めますよ。

いやー、今日は寒い・・・
昨日の日中はポカポカ陽気の掃除・洗濯日和だったのに、こう差が激しいと体調を崩しそうです。

さて、クラツーの「街道歩き」ツアーではあらかじめお客さんに告知している「絶対探訪ポイント」が決まっており、そこは必ず訪れないとなりません。
でも、それ以外の場所はガイドする人の裁量で、時間配分をきちんと考えたうえで自由に決めることができます。
ただ、今回のルートはそれほど先生によって差は出ないんじゃないかと思います。
駅を出てすぐに甲州街道を反対側へ渡り、「西新宿一丁目」交差点からいきなり脱線。
あれ、やっぱり私は普通の道はイヤみたいです。
甲州道中から一本南の玉川上水の跡を歩いてみたい。

ここは「葵(あおい)通り」と呼ばれ、玉川上水に架かっていた「葵橋」の跡があります。

新宿から高井戸の区間は玉川上水がほぼ並走しているので、明日の本番では玉川上水も大きくフィーチャーしますよ!
葵通りは250mほどで呆気なく終わってしまうのですが、その先の玉川上水跡も公園となり残っています。

でもここで一旦国道20号線に戻りますよ。
するとこんな場所があります。

ここにはかつて、京王線の新町駅がありました。
つまり、ここは廃線跡なのだ!
見づらいかもしれませんが、こちらは昭和6年発行の地図です。

この当時の京王線は新宿三丁目あたりに始発駅があり、そこを出発した京王線は省線(現JR)の新宿駅を飛び越えて甲州街道の上を走ってきました。
地図を見ると新町駅から先は線路を示す線の種類が変わっているのが分かると思いますが、ここから先は普通の電車のような専用軌道となっていたのです。
それと、かつて広大な範囲を占めていた浄水場の敷地がここの近くまで及んでいたのが分かりますね。
さて、そのまま歩道を歩いて行くと、文化服装学院の前に出ますが、いつのまにかまた玉川上水跡を歩いています。
なお、かつて地上を走っていた京王線は、今ではちょうどこの玉川上水跡の地下を走っているんですよ。
またもや橋の跡です。

天神橋跡です。
なぜ天神なのかというと、すぐ近くの甲州道中側に箒銀杏天満宮があるからだといわれています。
箒を逆さにしたようなイチョウがシンボルの箒銀杏天満宮です。

あー、でも、このイチョウは枝葉を自由に伸ばすことを許されていないんですね。
敷地の問題か、枝が切られています。

可哀想だ・・・

箒銀杏天満宮の由緒については、代々木八幡宮の境内にある説明板に書かれています。


※代々木八幡宮(2017年3月19日撮影)
箒銀杏天満宮は代々木八幡の末社になっていたんですね。
小さな神社ですが、玉川上水の流れはなくなっても、神様はいまなおこの地を守っています。

もしかしたら地下を走っている京王線をお守りしているのかもしれませんよ。
しかし、掃除屋さんの私としては本日の探訪の最初が「箒」の名を冠した神社というのは何かの縁を感じます。
さて、ここからは国道20号線を歩きます。
正春寺を探しましょう。
こちらかな?

諦聴寺?
あれ、違うようですね。

あ、隣にありました。

正春寺(しょうしゅんじ)は、柴山安養院と号する浄土真宗東本願寺派のお寺です。

当初は、徳川2代将軍秀忠の乳母・初台局が元和6年(1620)に天台宗湯島専西寺を当地に移して湯島山専西寺として創建し、その2年後に初台局が没すると、その娘梅園局(德川家光の乳母)が引き継ぎ、寛永4年(1627)には浄土真宗に改めました。
そして、寛永10年(1633)には湯島山安養院専西寺と改称し、さらに正保2年(1646)に柴山専西寺と改めたといいます。
慶安4年(1651)には梅園局が没し、元禄5年(1692)に現在の正春寺と改めました。
なお、安養院というのは初台局の院号で、初台局の夫は古河藩主土井利勝の弟昌勝であり、正春寺は土井一族の菩提寺となっています。

※茨城県古河市の古河城跡の土塁(2016年12月30日撮影)
それでは次は、幡ヶ谷不動(荘厳寺)を目指します。
⇒ 【gooブログから】荘厳寺(幡ヶ谷不動)【甲州道中を歩く②】
