入口遺跡|長崎県平戸市 ~ホモサピエンスではない人びとが滞在した遺跡~

更新日:2022年5月11日

中期旧石器時代
いりぐちいせき
長崎県平戸市山中町 標柱・説明板等なし

2022年5月1日(日)

 佐世保市の大野台支石墓群を見学した後は、平戸にある里田原歴史民俗資料館へ向かいます。

 そこにはこの後訪れる入口遺跡から出土した遺物も展示してあるようなので楽しみです。

 脳内をナヴィに支配されながらたどり着き、駐車場から建物の方を見ると何か不自然な雰囲気を醸し出しています。

 ・・・あ!

 休館!

 というか、ライトな廃墟になっており、何か張り紙がしてあります。

 うわ、とっくの昔に廃館になっていた!

 事前にWebで調べたところでは、いろいろな観光サイトにも出てきて、普通にやっている感じだったのですが、それらがすべて情報の更新をしていなかったのだ。

 「ながさき旅ネット」、「ながさき歴史・文化ネット」、「アイエム・インターネットミュージアム」、「さとむすび」、「九州旅ネット」というGoogleで「里田原歴史民俗資料館」で検索して現れる上位5件がすべて情報更新をサボっている。

 でもなんか、「ながさき旅ネット」、「ながさき歴史・文化ネット」、「九州旅ネット」の3つはサイト名の雰囲気からして、同じ運営者じゃないか?

 こういうのは平戸市の方で放置せずに、廃館したことをWeb上で明示しておいて欲しいなあ。

 まあいいや、それよりもお腹が空いた。

 Webで近所の食事処を探すと、松浦鉄道のたびら平戸口駅にちゃんぽんの店があるようなので行ってみます。

 駅に着きました。

 そういえば、昨日も佐世保で松浦鉄道に少しだけ乗りましたなあ。

 日本最西端の駅だそうです。

 「海鮮ちゃんぽん 平戸」というお店は駅の中にありました。カウンターのみの小さなお店で、私が座って満席です。

 海鮮ちゃんぽんが売りの店だと思いますが、私は敢えて肉ちゃんぽんをオーダー。

 おや、待っている間に電車が到着したようです。見に行こうッと。

 特別列車かな?

 団体列車のようです。

 中からワラワラと主として若い男たちが降りてきて写真を撮り始めましたよ。

 客観的に見たら私も仲間です。

 ちゃんぽんに戻ろう。

 おー、美味そう!

 これは美味い!

 野菜もたっぷりでいいですねえ。

 私が去った後も相変わらず人気です。

 そしてなんと、この駅には鉄道博物館があるのだ!

 さっき見たら昼休憩中だったのですが、12時半に再開しました。

 私は鉄道マニアだと勘違いされることがありますが、いつも言っているように、鉄道に関しては好きではあっても知識は乏しいため、単なる「鉄道好き」に過ぎません。

 その鉄道好きが喜ぶものが館内にありました。

 懐かしいNゲージ!

 何十年かぶりにコントローラーを握りました。

 楽しい。

 こんな館内。

 たびら平戸口駅には当初はまったく来る予定は無かったのですが、ちゃんぽんのお陰で予想外の楽しみを得られました。これも「引き寄せられの法則」ですね。

 駅の外には猫もいます。

 警戒しつつも眠くて堪らないようです。

 さて、それでは本題に戻って入口遺跡に向かいます。

 たびら平戸口駅はまだ本土にありますが、入口遺跡は平戸島内にあります。つまり、離島の遺跡ですが、離島と言っても今は普通に橋が架かっています。

 駅から20分ほど走り、入口遺跡に到着しました。

 はい、何もありません。

 遺構はもちろんのこと、説明板はおろか標柱一本ありません。

 でも多分この辺が入口遺跡のはずです。

 道路の向かいにはホームセンター業界では九州で最大の勢力を誇ると思われるナフコがあります。

 ※この後も九州一周を続けましたが、どこへ行ってもナフコがあり、それに比べると他のホームセンターが少ない印象を受けました。

 私はこちらの方から来ました。

 何もないので帰るとしますか。

 あ、入口遺跡について何も説明していませんでしたね。

 この旅の最終日に訪れる予定の大分県の早水台遺跡や丹生遺跡は前期旧石器時代に遡る遺跡として有名ですが、それらの発見は1960年代で、この入口遺跡は1999年から発掘調査が始まった「新しい」遺跡です。そしてこの遺跡からも古い石器が出ているのです。

 それを歴史民俗資料館で見られるかな?と期待していたのですが・・・

 『日本列島人類史の起源』(松藤和人/著)によると、入口遺跡の基本層序は5層になっており、ATが第2層上位から検出されているため、そこより下は3万年前より昔です。

 第3層と第4層からは瑪瑙の円礫が含まれますが、瑪瑙製の石器が出土したのは第3層下部と第4層最上位で、その層には瑪瑙の礫は含まれていません。土壌中の鉱物を用いた赤外光ルミネッサンス法年代では、第3層下部が9万年前、第4層が10万3000年前と測定され、遺物が見つかった第3層の黄色粘土は、ステージ4の氷期に形成された可能性が高く、その年代は7万1000年前から5万7000年前です。

 ということで、入口遺跡はホモサピエンスではない人びとが滞在した遺跡と言っていいでしょう。

 ただし、竹岡俊樹氏は自著『旧石器時代人の歴史』の中で、島根県砂原遺跡の礫器とともに、入口遺跡の礫器も明確な偽石器と述べており、いつものごとく、研究者間で意見が一致することはないようです。

 つづいて、平戸市内にある古墳を見に行きますよ。