大ノ越古墳|山形県山形市 ~国内最古級の単鳳環頭大刀が出土した小型円墳~

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だいのこしこふん(「大之越」と表記される場合もある)
山形県山形市富神前6
古墳時代中期
駐車場なし

 

 

 朝の山形城跡の散歩を終え、お仕事開始。

 8時、山形駅でお客様をピックアップしました。

 本日の最初の探訪地は大ノ越古墳です。

 15分ほど走り着到。

 古墳は道路から一段上がった場所にあり、見上げると小さな説明板があるのですが逆光かつ距離があってまったく読めません。

画像を補正してようやく読めた

 綺麗な緑の物体が現れました。

 

 ちゃんとした説明板もあります。

 

 大ノ越古墳は5世紀後半に築造された径15mの円墳で、埋葬施設は箱式石棺が2基です。

 説明板には、被葬者像として、山形盆地一体を支配するような有力者としていますが、15mの円墳に葬られた人がそんな偉い人だったと言えるのでしょうか。

 私は大きくは外れていないと思います。というのはその土地によって事情は変わり、南側の米沢盆地は比較的大きな前方後円墳や前方後方墳が築造された場所ですが、山形盆地になると一転して規模は縮小されます。ですから、小さな円墳であっても大きな権力を持っていた可能性はあるわけです。

 被葬者が大きな権力を持っていた理由としては、国内最古級の単鳳環頭大刀が出土していることが挙げられます。

山形県立博物館にて撮影

 金箔もまだ少し残っていますね。

山形県立博物館にて撮影

 こういった「環」の中に装飾がある大刀は、後期に流行しますから、中期後半の山形の古墳から見つかっているというのは興味深いです。つまりは、被葬者は当時まだ珍しかった高級品をヤマト王権からもらっているわけで、それなりに地位を保証されていた人物であると想定できます。

 では、墳丘を見てみましょう。

 

 一見すると横穴式石室が開口しているように見えるのですが、この時代はまだ東北地方に横穴式石室は到来していません。

 

 主体部の箱式石棺の残欠が露出しているのです。

 

 ただし、上に乗っている石は、箱式石棺の蓋石にしては分厚い印象があり、蓋石というより、石室の天井石のような感じがします。

 主体部はもう1基あるということですが、見た目では分かりません。

 墳丘からの眺め。

 

 東側の山形盆地の市街地が見えるはずですが、今日は良い天気のため光って見えません。

 反対側にあるこの山が気になります。

 

 ここに向かう途中も目立っていたんですよね。

 人工ピラミッド説とかありそうですが、古代人もきっとこういう山は好きだろうなと思います。

 それでは続いて、日本海側内陸部で最北の前方後円墳である坊主窪1号墳へ行きましょう。

 

 山形城跡

 

 

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