レストラン吉野
陸平貝塚の見学を終えると、ちょうどランチ時間です。
現地講座でのランチは、道の駅などのフードコートを利用した時は各自バラバラで好きな店で食べますが、通常は皆で一緒に食べます。
今日は時間的に余裕があるので、最近の私の趣味である「在地の洋食屋さん探訪」に赴くとします。
目星をつけておいた稲敷市の「レストラン吉野」に、混雑時間よりも前に入ることができました。
私はポークソテー。
まずはサラダが出てきました。
今めちゃ高いトマトが付いています。
つづいてメインが出てきました。
もうこのヴィジュアル通りの美味さです。
オニオンソースがたっぷりかかっているのが嬉しい。
値段もリーズナブルですし、近所にあったら通いたい店です。
お店の方も親切ですし、参加者も皆美味しかったと言ってくれたので安心しました。
お腹いっぱい幸せ気分になって遺跡めぐりを続行です。
土浦市立考古資料館
土浦市考古資料館にやってきました。
今日は、「企画展 霞ヶ浦に臨む王 -古墳時代前期の地域社会-」が開催されていますよ。
私は古墳時代の中でもとくに前期が好きなのだ。
これは楽しみ。
でもその前に、常設展示室で上高津貝塚についての説明をします。
土浦市立考古資料館の常設展示については、2022年1月に訪れた時のレポートが別サイトにありますのでそちらをご覧ください
それでは、企画展の部屋に行きますよ。
展示されている遺物が出土した遺跡のラインナップ。
では、これらの中からいくつか説明します。
まずは、ホットな話題として、最近調査報告がまとまった土浦市内の王塚古墳と后塚古墳です。
王塚古墳は、墳丘長83mの前方後円墳で、后塚古墳は、墳丘長56.2mの前方後方墳です。両墳はこのように隣接して築造されています。
王塚古墳の展示遺物は、土器が中心です。
前期古墳でよく見られる、小形丸底鉢や二重口縁壺も見つかっています。
この時代はまだ円筒埴輪の樹立はなく、壺形埴輪を立て並べていました。
前方後方墳の后塚はどうでしょうか。
王塚古墳と同様に壺形埴輪があり、また底部穿孔壺もあることから前期らしいラインナップですが、埴輪片の可能性のある土器片が見つかっているのが気になります。壺形埴輪と区別されているので、埴輪らしい埴輪が立てられていたとすると、王塚古墳よりも新しい様相を示しているように思えますが、両墳はほぼ同じ頃に築造され、その時期は4世紀半ばくらいと考えられています。
今回の現地講座では、ルート上にはあまりグッとくる古墳は無いのですが、王塚と后塚は、実は行程に含めようかと迷ったすえ割愛しました。
王塚古墳は、上の墳丘図を見ると、前方部と後円部が掘り切られていますが、下の写真はその部分です。
堀切部分は、現在は、道として利用されています。
一方、后塚古墳はこんな感じ。
次に、石岡市の佐自塚古墳。
現地説明板によると墳丘長58mの前方後円墳です。
なんだこの円筒埴輪は!
フォルムもそうですし、透かし穴も随分独創的な物を作りましたね。
佐自塚古墳は、前期といっても終わり頃ですから、その頃になってもまだこういった独特な埴輪を作っているのは非常に興味深く、ヤマトの人が見たら怒るかもしれません。
佐自塚古墳の近くには、古墳群は異なりますが、丸山1号墳という墳丘長55mの前方後方墳があります。こちらは4世紀前半の築造。
前方後方墳の副葬品は、一般的には前方後円墳よりも見劣りがすると言われていますが、なかなか素敵な副葬品が収められていますね。銅鏡は、小さいですが内行花文鏡です。
つづいて、クラツーやAICTで何度も案内している大洗町の日下ヶ塚古墳です。
AICTでは、1泊2日の行程で霞ケ浦周辺から鹿島神宮、そして水戸やひたちなか市方面をめぐりましたが、参加した方、憶えていますか?
現状は結構破壊されているのですが、現地説明板によると墳丘長は103.5mあります。
うわ、なんだこの細長い壺のような埴輪のようなものは!
ような、ではなく、キャプションに長壺形埴輪と書かれているので埴輪ですね。
日下ヶ塚古墳の遺物もまた素晴らしくて、以前、ひたちなか市埋蔵文化財調査センターの展示でお目にかかっています。
左側の鏡は内行花文鏡です。
日下ヶ塚古墳の出土物で特に好きなのが石製模造品。
石製模造品は全部好きですが、刀子形石製模造品なんて堪りませんな。
ひっそりと一点だけ、姫塚古墳の小形丸底鉢があります。
姫塚古墳は、29.4m前方後方墳で、磯浜古墳群で最初に造られた古墳です。
茨城県全体で見ても最古級の古墳ですよ。
ここまでで説明した、王塚古墳、后塚古墳、佐自塚古墳、丸山1号墳、日下ヶ塚古墳、姫塚古墳は、2024年に現地講座で行きますので記憶にとどめておいてください。
さて、まだまだ展示はあるのですが、最後に方形周溝墓の遺物を説明します。
方形周溝墓は弥生時代の墓として有名ですが、地域によっては古墳時代前期まで造られます。
そして、茨城県の場合は、むしろ弥生時代には造られず、古墳時代になってから造られるという特徴があります。
本展示で、あまり注目されない方形周溝墓の遺物を展示しているのは快挙だと思いますが、小美玉市の権現平古墳群の遺物を紹介します。
まずは、この説明を読んでみてください。
これを読んで、「あれ?変だ」と思うでしょうか。
「Ⅱ号墳は、前期前葉に築造された一辺29mの大型の方形周溝墓です」という記述です。
方形周溝墓なのに「墳」と呼ばれている!
方形周溝墓であっても、古墳時代に築造されたため「墳」としているのでしょうか。
まあでも、こういう細かいところは学者だったら気を付けるべきですが、私たちはあまり気にする必要は無いかもしれません。
ともかく、その遺物です。
大きい壺は2個とも2号墳出土です。
ということで、「企画展 霞ヶ浦に臨む王 -古墳時代前期の地域社会-」について簡単に説明しました。
企画展は、2023年12月3日(日)まで開催していますので、ぜひ土浦市考古資料館まで足をお運びください。
なんなら私がお連れしますよ。
最後に一点。
ロビーに展示してあるもので非常に珍しいものを紹介します。
土浦市の武者塚古墳では、被葬者の毛髪が見つかったのですが、それ自体珍しいことであるのにもかかわらず、さらに稀有なのは、男性の髪型である美豆良(みずら)の状態で見つかったことです。
展示は写真なのですが、これも必見です。
古墳自体はこんな感じのようです(未探訪です)。
石室は公開されていませんが、過去には公開されていました。今回の現地講座の行程を考えていたときに、念のために土浦市に公開の予定があるか聞いてみたのですが、今のところその予定はないと言われました。
さて、前期古墳の展示も面白かったですが、外に行って上高津貝塚を歩きますよ。
上高津貝塚については、2022年1月に訪れた時のレポートが別サイトにありますのでそちらをご覧ください。
上高津貝塚の次は、つくば市桜歴史民俗資料館です。
Coming Soon?