【AICT開催レポート】第119次現地講座「史的に重要な古墳たちと比企を代表する戦国城郭・松山城跡」その2

 

 
勝呂神社・勝呂神社古墳|坂戸市

 勝呂(すぐろ)廃寺の東側(車ではすぐ)には勝呂神社があって、社殿が載る丘は勝呂神社古墳と呼ばれる6世紀に築造された径50mを測る比較的大きな円墳です。

 素敵な佇まいだ。

 説明板を読んでみましょう。

 興味深いことがたくさん書かれていますが、神社自体は、寛和2年(986)に加賀の白山比咩神社を勧請したのが始まりです。武蔵においては、白山神社はそんなに多くはありません。

 白山ですから主祭神は菊理姫(くくりひめ)命、そして伊邪那岐命と伊邪那美命。配神として、建渟川別(たけぬなかわわけ)命と豊城入彦(とよきいりひこ)命が祀られています。

 古墳の伝承として興味深いこととして、祭神となっている四道将軍の建渟川別が被葬者とされていることがあげられます。

 これについては非常に面白いので考察したいところですが、すぐにはできないので後日の課題としておきます。

 境内には板石が置かれていますが、胴山古墳の石室の石との伝えがあるそうです。

 これについても今は何とも言えないです。

 では、墳丘に登りますよ。

 拝殿前から南側の眺望。

 埼玉県らしく平野が広がっています。

 昔は勝呂神社古墳の墳丘は遠くから目立ったのではないでしょうか。

 墳丘の名残も残っています。

 神社の説明によると、この一画が墳丘頂上です。

 大きめの石が散見できます。

 古墳としての名残はあまりとどめていませんが、神社を含めてその伝承には興味をそそります。

  

47
雷電塚古墳|坂戸市

 比企に向かう前に、もう1基古墳を見ましょう。

 雷電塚古墳です。

 古墳の前には立派な宝篋印塔が建っていますが、相輪が欠けています。

 雷電塚古墳は、6世紀中頃に築造された墳丘長47mの前方後円墳です。

 墳頂には雷電社が祀られていますが、雷様は埼玉県ではよく見かけます。平野部では雷がことのほか怖いのです。

 墳丘は結構ボコボコですが、ちゃんと前方後円墳であることは分かりますよ。

 側面から見てみます。右手が後円部です。

 説明板によると主体部の調査はされていないそうですが、この感じだと盗掘を受けているのではないかと想像できます。

 墳丘に登りたいところですが、「中に入って遊ばない事」という立て札が立っていて、ちょっと入りづらい。

 実際問題、墳丘に登ると古墳はダメージをくらいますから、仕方がないですね。

 さて、つづいて比企の探訪をしたいと思いますが、そろそろお昼なのでご飯を食べに行きましょう。

 

ランチ
和食そば きごころ

 東松山市埋蔵文化財センターの近くにある「和食そば きごころ」にやってきました。

 

 よかった、4名入れました。

 ここは店名の通り、蕎麦が売りのお店らしく、ランチでは蕎麦と何かの丼のセットがあります。

 私は漬けマグロ丼のセットを頼みました。

 

 お蕎麦自体が美味しいですし、つゆが少し甘めなのが好みです。

 今日は暖かいのでもり蕎麦でよかった。

 漬けマグロ丼もマグロ自体が食感が良くて美味しい。しっかりとした味付けもよいです。

 丼のご飯は少なめで、むしろマグロの方が多いくらい。

 マグロが多いのはサーヴィス旺盛な証拠ですが、私みたいによく食べる人はご飯をもっと食べたいと思います。女性にはちょうど良い量かもしれませんね。

 今日も良い店に入れました。

 では、午後の探訪を開始しましょう。

(つづく?)

 

 



 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です