飯田城跡|長野県飯田市【AICT開催レポート】第118次現地講座「南信の縄文と飯田古墳群」その5


飯田城跡

 2日目の朝を迎えました。

 本日も晴天の予報です。

 AICTの宿泊ヴァージョンの場合、2日目以降の出発時刻は8時に設定することが多いですが、これはCT時代の名残です。

 雨が降っている場合は私もそれに合わせてゆっくり朝食を食べたりするのですが、天気が良い日は、皆様を迎えに行く前に一仕事してきます。つまりは、その日訪れる場所をあらかじめ見に行ったり、個人的に気になる遺跡を見に行ったりするのです。

 朝の一仕事をする際は、もしホテルの朝食を付けていたとしても食べている時間がないため諦めます。でも、今回は朝食無しのプランで予約していますから気にすることはありません。

 7時少し前に出発。8時までに戻ってくれば良いので、1時間くらい歩けますね。

 ホテルオオハシ飯田は、昨夜到着した時は佇まいが良くわかりませんでしたが、朝見たら結構立派な外観でした。

 今回は素泊まりで5,700円でしたが、駐車場代が無料なのがありがたい。

 ※註:あとで同じホテルに宿泊した参加者から朝食が良かったとの感想を聴きました。

 大浴場がありますが、男性のみです。

 今はなんでも女性を優遇する世相にありますが、いまだ、たまに大浴場は男性だけというホテルがあります。きっと、時間による入れ替えが難しいのでしょう(ちなみに私は必ず大浴場を利用するわけではなく、今回は行きませんでした)。

 なお、室内はこんな感じ。

 寝るには充分。普通のビジネスホテルです。

 以前飯田に泊ったときはインターの近くのルートインに泊りましたが、それと比べるとコスパの良いホテルでしたので、また飯田に来た時は利用したいです。

 それでは、飯田城跡を見に行こうと思いますが、どうやらホテルオオハシの場所はすでに城域の三の丸跡のようです。

 飯田城は西から東に延びる舌状台地の先端部分に築かれており、眺望はすこぶる優れています。

 南側を見に行きましょう。

 気持ちの良い眺めです。

 断崖絶壁の態を成しており、こちらの方面の防御力は非常に高そう。

 7時でもまだ完全に明るくなっていませんね。

 では、東側の二の丸方面に向かいます。

 二ノ丸跡には飯田市美術博物館があります。

 飯田城址と書いてありますが、美術館の敷地内にも遺構展示があります。

 というか、柳田國男館が気になる!

 今回は美術博物館も柳田國男館も訪れる予定はありませんが、いずれ見学したいな。

 ちなみに、近くには「飯田市 川本喜八郎 人形美術館」もあるんです。

 川本喜八郎は、昔NHKでやっていた「人形劇三国志」の人形を作った人ですね。

 人形美術館も行きたい。

 ところで、美術博物館は工事のため長期休館になっています。

 美術博物館の敷地の西側には、二ノ丸の城門がありました。

 一方、敷地の東側には、空堀が残っています。

 飯田城跡はあまり遺構が残っていないため、この空堀は貴重です。

 美術博物館敷地内の説明板。

 図の下が概ね西にあたり、こういう細長い台地上に城が築かれていたことが分かりますね。

 説明板に記されている通り、飯田城は最初は室町時代に国衆の坂西(ばんざい)氏が築城しました。坂西氏は、小笠原氏あるいは阿波出身の近藤氏の一族といわれていますが分かっていません。

 ついで、武田信玄が信濃統一を進める過程で坂西氏は武田氏の勢力下に収まりましたが、その後は、武田家重臣・秋山虎繁(いわゆる信友)が城代として入部しました。

 そして天正10年(1582)に織田氏が侵攻してくると今度は織田家の城となり毛利秀頼が入り、戦国時代の最終段階で徳川家康がゲットし、そのときは菅沼定利が入ったようです。

 その直後、豊臣政権下では、毛利秀頼が城主に返り咲き、秀頼が亡くなるとその娘婿の京極高知が入部し、この毛利・京極時代に近世飯田城の基礎が造られたようです。

 江戸時代の初めの頃も小笠原秀政、脇坂安元と相変わらず城主が安定せず、寛文12年(1672)に堀氏が入ってからはようやく落ち着き、幕末まで飯田藩を治めました。

 なお、飯田城の歴史については、飯田市ホームページ内の「飯田城の歴史」に詳しく記されています。

 では、つづいて本丸跡へ行ってみます。

 本丸跡には、長姫(おさひめ)神社があります。

 これが説明板にある石積土塁跡でしょう。

 拝殿。

 おや、手水から湯気が立っていますぞ。

 温泉だ!

 図らずも朝から温泉に浸かることができました。

 手だけですが気持ちよい。

 これは、浄水ということで近くにある温泉旅館「三宜亭」が奉納したものです。

 本丸跡はその三宜亭の駐車場にもなっています。

 ここに出てくる堀親義は、飯田藩11代藩主です。

 名君とあるのでWikipediaで読んでみましたが・・・。

 人に対する評価は、評価する人によって変わりますから何とも言えませんね。

 三宜亭はこちらです。

 台地の先端部の山伏丸跡に建っています。

 ここに記されている通り、飯田城が築城される前は、この山は真言宗山伏の修行所でした。

 北側の眺望も確認。

 そろそろホテルに戻ろうと思いますが、一つ見忘れていました。

 桜丸の門で赤門と称されている遺構です。

 あ、ここに分かりやすい全体図があった。

 最後にもう一度南側の眺望を確認。

 すっかり朝になりました。

 今日も気持ちよく遺跡案内ができそうです。

 それでは、ホテルに戻ってお客様を迎えましょう。

その6はこちら 

 



 

 

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