今治城|愛媛県今治市【AICT開催レポート】第122次現地講座「四国にある「現存十二天守」4基を一挙にめぐる」その1

 2023年12月15日(金)から3日間かけて、四国地方の近世城郭の現地講座を催行しました。

 

 お客様のリクエストによって開催した現地講座で、探訪箇所はご要望の箇所となっています。リクエストしてくださった方1名様のみの参加では催行できないのですが、今回は他にもう1名様のご参加があったため催行させていただきました。

 

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現地に行く途中でトラブル発生

 今回は高松空港集合にしましたが、1名の方は前日から高松に入っているということで、その方は高松駅でピックアップすることになっています。

 飛行機は羽田空港から予定通り飛び立ちましたが、機内アナウンスによると、高松空港は霧が発生しているため、着陸できない場合は引き返すことがあるとのことでした。

 飛行機に乗っているとたまにこういうふうに脅かされることがありますが、多分大丈夫だろうと思い、飛行機の中では読書に集中です。

 今回も航空写真が撮りたくてA席(左舷窓側)を取りましたが、機材変更に伴う座席変更で、やや翼に近い位置になってしまいました。でも、東京近辺の天気が悪くて撮影どころではありません。

 しばらくして、ふと気づいて外を見るとかなり高度が下がって陸地が良く見えます。そう思ったら右旋回をしました。霧で着陸できないため、上空を旋回して様子を見るとのアナウンスが入りました。

 なんか嫌な予感。

 ジタバタしても仕方がないので写真でも撮るか。

 眼下には東かがわ市の海岸が見えます。

 高松空港は内陸にあり、右旋回で時間稼ぎをするため瀬戸内海方向が見えます。

 右側の半島の先は大串岬、その左は小串岬、そして奥の大きな島状の地形は庵治半島です。

 小豆島、行ってみたいなあ。

 旋回を4~5回しましたが、こんな短時間で濃霧が晴れることはないだろうと思っていたら、背もたれのディスプレイに表示させている航路の行き先が「大阪」に切り替わりました。

 うわー、伊丹か・・・

 こうなったら急遽、作戦を考えないとなりません。

 数分後、機内アナウンスで、伊丹に降りるといわれました。

 濃霧の中、計器を頼りに着陸するというパイロットのカッコいい所を見せてくれないかなと思いましたが、失敗したら総員グチャっと討死ですから仕方がない。

 飛行機は再び高度を上げ、少ししてまた下げました。

 地上が見えてきたので古墳見えないかな?と探したのですが、雲による視界不良のためか見えません。

 着陸間際になり、大阪城が見えました。

 上町台地の最北端だ。

 上空から見る大阪城も良いですね。

 

 というわけで、伊丹空港に着陸。

 すぐに高松駅でピックアップする予定のお客様にメールします。そして、同じ飛行機に乗っていたお客様と合流して、急いでレンタカーカウンターへ向かいました。

 こういう時に限ってレンタカーカウンターが遠い・・・

 今日は高松空港で借りる予定ですが、急遽ここで借りて、高松空港で返そうかと思ってカウンターで相談しましたが、スペックオーバーの高い車しか空いておらず、しかも乗り捨て代がちょっと無理な金額だったため、公共交通機関で高松駅へ向かうことにしました。

 まずはリムジンバスで新大阪駅へ。

 乗り際に、係りのおっちゃんが「普段は30分ですけど道が混んでるんで50分くらい掛かりまーす」と叫んでいます。

 いやーんもう。

 バスの中で、高松駅のレンタカーの予約をしました。

 運よく軽自動車が空いていて良かった。

 しばらくしてバスは御堂筋線と併行して走ります。

 つい10日ほど前の現地講座でこの辺に来ました。

 江坂駅前のホテルに連泊して、夜、ダスキン本社を見に行ったりしましたが、まさか今日もダスキン本社ビルを見ることになるとは。

 新大阪に到着し、すぐに新幹線に乗って岡山へ移動です。

 岡山からは快速マリンライナーに乗って瀬戸内海を渡り、高松へ向かいますが、出発まで30分くらいあるため、構内にある「めん処 吉備」で腹ごしらえ。

 

 お客様と「せっかく岡山に来ているのに古墳見れませんね」と話しつつ、快速マリンライナーのホームへ。

 この電車には以前から乗りたかったのですが、まさかこんなトラブル時に乗れるとは思いもよりませんでした。

 素直には喜べません。

 瀬戸内海を渡る電車は強風でよく止まるというのを以前、YouTubeの動画を見て知っています。

 

 でも今日は大丈夫なようで良かった・・・

 ※註:この翌日は強風で運行中止になっていました。

 行き掛けの駄賃で他の電車も撮影。

 岡山駅って素敵な電車が集まっているので、いつかちゃんと撮りに来たい。

 さて、出発した快速マリンライナーは少しして瀬戸内海を渡り始めました。

 でも、天気が悪いこともあって、期待していたような景色は見られませんでした・・・

 1時間かからずに高松駅に到着。

 マリンライナーは1号車のみ指定席なのですが、顔が違った。

 急いで待ち合わせ場所のレンタカー屋に向かいお客様と合流。10時半開始予定が13時45分開始と大幅にずれこんでようやく現地講座がスタートです。

 


今治城

 今日は松山で宿を取っており、丸亀城と今治城を見学してから向かう予定でした。

 しかし、既述した通りのバタバタのため、丸亀城は3日目に回すことにして、今日は今治城だけ見学します。

 借りたハスラーで高速道路を経由しつつ、140㎞の道のりを一気に駆け抜け、16時少し前に今治城に到着。

 讃岐国の天気は曇りでしたが、伊予国は晴れており、また日の入りが東京よりも遅いため、1時間くらいは明るい状態で見学できるでしょう。

 まずは、駐車場から鉄御門(くろがねごもん)を目指します。

 今治城は日本遺産「”日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島」の構成文化財になっていますよ。

 非常に興味深い遺跡がたくさんあって、いずれこれらも訪れてみたいと思っています。

 ではここで、江戸時代中期から末期の頃の今治城の絵図を見てみましょう。

 現在、今治城として残っているのはこの絵図の真ん中の本丸とか二丸と描かれている、水堀に囲まれた中心部分だけですが、本来は3重の水堀で囲まれていました。

 そしてユニークなのは堀に海水を引きいれているところです。ですから、海にいる魚が堀の中で普通に泳いでるんですね。

 今治城の中心部分に入るには、「鉄門」と記されている土橋と、「山里」と記されている方面に架かっている木橋しかなく、それは現在も変わりませんから、現在も意外と守りが固いです。

 「鉄門」は、それに接続されている多聞櫓とともに平成になってから復元されました。

 近世城郭の桝形(曲輪の出入口)は、まず二の門(高麗門だったりする)をくぐって、90度曲がって一の門が現れるパターンが多いですが、復元では二の門がありません(上掲した江戸期の絵図だと、一の門も描かれています)。

 そのため、堀を渡って進んでいくと、正面の鏡石がよく目立ちます。

 多くの近世城郭で、登城路の途中にこのような巨石を使って石垣の荘厳さを増していることがあり、私はこういうのを「ウェルカム鏡石」と呼んでいます。

 復元鉄御門は右手にあります。

 鉄御門をくぐると三ノ丸です。

 こちらの現在の絵図の方が分かりやすいですかね。

 築城者は、藤堂高虎です。

 昨年(2022年)の秋に、四国の古墳を中心とした現地講座を2度開催しており、その際に今治に宿泊しています。

 早朝、一人でお散歩しました。

 武将の騎馬像って武装しているのが多いですが、この高虎は平服ですね。平和な時の今治をイメージしているのかもしれません。

 慶長7年(1602)、今治藩20万石の藩主となった藤堂高虎は、同年6月から今治城の普請を始め、慶長9年に完成したということで、そのスピード感に驚きます。

 高虎は、将軍家が築城する「天下普請」の際に多くの城をプロデュースしていますが、工期短縮のために建築物自体をシンプルな構造にしたり、部材を規格化したりして、創意工夫を凝らしました。「築城の名手」というのは、単に守りに強い城を造れるだけでなく、城づくり全体のシステムを運用するのが上手だった人のことをいいます。

 高虎が今治城主だったのは短期間です。慶長13年(1608)には伊賀国・伊勢国22万石として津藩に移りました。ただしそのとき、越智郡2万石を所領していた養子の高吉(丹羽長秀の子)が今治城主となり残ったのですが、高吉も寛永12年(1635)に伊賀国名張に領地替えとなり藤堂家は今治を去りました。

 同年、家康の甥にあたる伊勢国桑名藩の松平定行が、伊予松山藩15万石に転封となり、同時に伊勢長島城主だったその弟定房が3万石に加増され今治に入り、第10代藩主定法のときに明治を迎えます。

 天守は最終入館が16時半ですので、急いで天守に登りましょう。

 天守内は資料館になっていますが、撮影禁止です。

 最上階に来ました。

 天守最上階には高欄があって出ることができます。

 天気は良いのですが、遠くの方はかなり霞んでおり、しまなみ海道方面の眺望も今一です。

 左側の山の上に白い塔のような建物が見えますが、あれは、「第六管区海上保安本部 来島海峡海上交通センター」です。

 過去に3度ばかり近くに行ったことがあります。

 というのは、その岬には相の谷1号墳という墳丘長82mを誇る愛媛県最大の前方後円墳があるからです。 

 築造時期は4世紀で、その時期にはヤマト王権が瀬戸内海の制海権を握る政策の一環として、この地に古墳を造らせたと考えられます。

 上掲した日本遺産の説明板にあった通り、中世の村上海賊(水軍)の本拠地となったこの場所は、島が集中していて潮流が激しい航行困難な場所として有名ですが、古墳時代にも村上水軍のような海上勢力がこの辺を治めていたのは間違いないでしょう。

 相の谷1号墳からも海が見えますよ。

 話を戻して、今治城の天守は昭和55年の再建です。

 松平統治時代には天守はなかったのですが、最初の藤堂氏の時代には天守があり、丹波亀山城に移築されたことが判明したため、丹波亀山城の古写真などを参考にして復元したのが現在の天守です。 

 よい景色が見られて良かった。

 では、降ります。

 5層6階の望楼型天守。

 山里櫓の古美術館を見学して、山里門から出ましょう。

 水堀の外側から城を眺めつつ、反時計歩きで駐車場へ戻ることにします。

 美味しそうな魚がたくさん泳いでいますが、捕っちゃだめですよ。

 天守の破風は東と西の二面についているため、こちらの西側に回るとそれが良く見えます。

 水堀の幅は広く、この解放感も今治城の魅力じゃないかと思います。

 というわけで17時になりました。

 ちょうど1時間くらいの探訪でしたね。

 なお、昨年秋に訪れた時は夜のライトアップも撮りましたよ。

 それでは、宿泊地の松山へ向かいましょう。

 ちなみに、今治城から松山駅までは、峠越えの下道を使って40㎞以上ありますよ。

(つづく?)

 



 

 

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