石棒あれこれ

最終更新日:2024年6月3日

列島各地の大型石棒

 2024年1月28日(日)と3月9日(土)に東京都町田市にて現地講座を開催しました。テーマは、鶴見川流域の縄文時代と古墳時代です。

 当日は町田市考古資料室を訪れましたが、小さな展示室の中に素晴らしい遺物がたくさん展示してあります。そのなかの目玉の一つが忠生遺跡A地区1地点出土の石棒です。

 縄文時代中期の所産で、大きさは184㎝、重さは56㎏もあります。

 見て分かる通り、破砕されたものを接合して展示しています。石棒を使った儀式には、熱を加えて破壊する行為が知られていますが、通常、博物館に展示してあるものは完形に近いものや大きく割れた程度のものですから、このように粉々に破壊されたものを接合して展示するのは珍しいです。

 先端部分には装飾が見られます。

 以前、2021年秋にクラブツーリズムで讃岐・阿波の古代史ツアーを企画・案内したのですが、その頃、徳島市立考古博物館では、「石棒って何だ!?」という企画展示が開催されていました。

 石棒好きの私はこのマニアックな企画に快哉を叫んだわけですが、展示の中に東日本の石棒大きさランキングが掲示されていました。

 大きさと共に時代も分かる素晴らしい一覧表ですが、これを見ると分かる通り、上述の忠生A遺跡の石棒は日本で3番目の大きさなのです(東日本のランキングであってもほぼ、1m以上の大型石棒となると日本全国のランキングと考えてそれほど間違いは無いはずです)。

 このように大変貴重な石棒が、町田の小さな展示室に展示されているわけですね。

 なお、石棒に似ているもので石剣や石刀というものがあります。

 町田市考古資料室には、朱が鮮やかに残った、なすな原遺跡出土の石刀が展示してあり、これもまた貴重です。

 それでは、各地の大型石棒をいくつか見てみましょう。

 長野県佐久穂町にある日本最大の「北沢大石棒」は、このように屋外に佇立しています。

 最初からこうなっていたわけではなく、転がっていたものをいつか誰かが立てたようで、元々の場所も分からないようです。

 写真だと大きさが伝わらないので自分自身と一緒に写したいと思いましたが、それには三脚をもっていかないと難しいですね。大きさは223㎝あります。

 2番目に大きい石棒は、伝栃木県下久保出土の石棒で202㎝あります。

 時期は中期。

 本物を見たことはありませんが、佐倉の国立歴史民俗博物館にレプリカが展示してあります。

 ひょろーんとしていて、太さよりも長さ重視ですね。

 そして3位が上述の町田の石棒。

 4位は、2024年6月1日(土)~2日(日)の那須の現地講座の際に、最後にオマケとして訪れたさくら市ミュージアムに展示してありました。

 長さは183㎝ですから1㎝の僅差で町田の石棒に負けて銅メダルを逃してしまいました。

 キャプションには出土地不明とありますが、旧氏家町から出土したと伝わっているものです。

 偶然の出会いで狂喜したのですが、残念ながら写真撮影はNGでした・・・。

 2位の伝栃木県下久保出土の石棒よりもさらに細長いように見えて、両端に亀頭部分が施されている面白い形の石棒です。

 5位は見たことがありません。

 6位は、東京都青梅市の千ヶ瀬6丁目から見つかっており、青梅市郷土博物館に展示してあります。

 上の石棒がそれで、中期後半~後期の所産で、159㎝あります。

 凄い遺物なのに博物館の隅の暗い場所にひっそりと置かれています(手前の方は、多分全国18位の石棒で出土地不明です)。

 上掲の一覧表には、「緑川東」というのが「1~4」の4本あります。1m級の大型石棒です。

 これらは、東京都国立市の緑川東遺跡の敷石遺構(住居のようだが炉はない)から、4本まとまって出土しており、国立市のくにたち郷土文化館に展示してあります。

 これは2024年4月6日(土)に開催した多摩川上流域の現地講座の際にご案内しています。

 ※なお、私は西日本の石棒についてまだ調べていないので、もし西日本に大きな石棒があることを知っている方がいらっしゃいましたらご教示ください。

 

石棒とは何か

 この石棒なるものはいったい何なんでしょうか。

 縄文時代の遺跡から見つかるものは現代人には理解できないものが多く、石棒もその一つですが、形状が男性器に似ていることや現代でも地方によっては男性器を信仰の対象としていることから、子孫繁栄を祈る儀式に使用されたものではないかと考える研究者が多いです。

 土偶も同じく、子孫繁栄や安産などを願うものとされますが、土偶はほぼ全て女性を表現しており、女性器を表現しているものもあります。石棒と違って、女性器を単体で表現して造作した遺物はかなりの少数派です。

 石棒の使い道に関して、本当のところは分かりません。現代人的発想からすると石棒の解釈は上述の通りとなるわけですが、石棒を熱して破壊する行為に関しては、出典は思い出せないもののある研究者は、射精して委縮するプロセスを、加熱・破砕で表現しているとまで言い切ります。

 実際に石棒が男性器を表現したものかどうかは、形状を見ればほぼ明らかですが、亀頭にあたる部分が両サイドについているものもあり、そういう人を私は見たことがありません。このような「不思議」の理由は、私たちには分かりません。現代人的発想だと、2度の行為を表しているか、射精パワーが2倍ということになるでしょうか。

 縄文遺物には石棒や土偶のように性的な表現がたまにみられるため、現代人のなかにはそれを「いやらしい」と考え嫌悪する人がいます。しかし、縄文時代の子を産み育てる行為は現代以上に危険で難しいことですから、そういう人たちの心に思いを馳せて考えてみることも大事だと思います。

 現代人よりも動物としてプリミティヴであったであろう縄文人の性生活についても、もっと追及すべきだと思っています。夕飯を食べて陽が沈んだ後は、縄文人の一番の楽しみは現代人がいやらしいと思う、そういう行為であったと私は考えており、そういう行為と祭祀との関連を考えることも重要だと思います。

 のほほーんとした平和な縄文時代のイメージを持つことも悪くありませんが、その裏面も探ってみましょう。

 

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