越前の古代史(1)越前の弥生墳丘墓

最終更新日:2023年6月19日

 


太田山墳墓群|福井県福井市

 越前においても、弥生時代中期中葉まで遡る台状墓が確認されています。福井市にある太田山1号墓と同2号墓です。1号墓は、18.7m×13.2m、2号墓は、23m×17mあり、両方とも被葬者は一人だけで箱形木棺に納められていました。

 2号墓では、多量の朱がまかれ、遺体の頸部付近の左右に管玉がそれぞれ250個と251個まとまってみつかっており、みずらを結った紐に繋げられていたものと想定でき、そうすると被葬者は男です。

 このようにただ一人の人物のために墓を造り、しかも入手が困難で高価である朱を多量に使用していたということは、王とまでは考えなくても、王の発生に至る階梯を着実に歩んでいるものと考えられます。なお、越前においては、このような台状墓よりもランクは下がりますが、後述する方形周溝墓や土抗墓も見つかっています。

 


小羽山30号墓|福井県福井市

 小羽山30号墓は、弥生時代後期中葉(2世紀初頭)に築造された四隅突出型墳丘墓(よすみ)で、突出部を加えた大きさは28×33mです。AICTでは、過去に2度ご案内しており、とくに「よすみファン」には非常に好評な遺跡です。

 

 主体部の墓壙の長さは5.3mを測り、長さ3.7mの組合式箱型木棺が安置され、副葬品としては、碧玉製管玉103点、ガラス管玉10点、ガラス勾玉1点、鉄製短剣1点が見つかりました。

 

 小羽山墳墓群はよすみの一大構築地帯で、30号墓は北陸最古のよすみですが、それ以外のよすみとしては、22号墓、23号墓、24号墓、33号墓、47号墓が挙げられ、高柳町の高柳2号墓もそのひとつです。

 上の写真の奥側にも小さなよすみがありましたが湮滅しています。

 30号墓の墳頂から南西方向を見ると、標高が上がって行っていますが、こちら側から2つ目の高まり(標柱が立っている場所の手前)も墳墓です(手元に詳しい資料がないため何号墓かは分かりません)。

 

 越の国でのよすみの分布を見ると、越前では上述した通りで、加賀には石川県松任市に一塚21号墓があり、越中では、富山市内に7基ほどあります。富山市内のよすみに関しては、また別途説明します。

 よすみがあるということは、普通に考えて、2世紀に出雲の文化がこの地に及んだということですが、これら越の国のよすみが本場のよすみと大きく違う点は、こちらは貼石をしないという点です。それは、石が入手しづらいなどの在地の条件が関係しているかもしれません。

 また、越中のよすみだとはっきり分かるのですが、突出部の先端がしゃもじのように広がっており、これを私は「ふんわり仕上げ」と呼んでいます。

 出雲の勢力の影響を越の国でも見て取れるわけですが、単純によすみの分布だけを見ると、非常に散発的で、出雲の影響が定着したようには思えません。

 


王山古墳群|福井県鯖江市

 前期及び中期古墳が主であるので、遺跡名は王山(おうざん)古墳群となっていますが、弥生時代中期以降の方形周溝墓も築かれています。ここもAICTで2度ご案内しましたが、2023年4月7日に訪れた時は、雨が降っていて見学しづらかったですね。

 

 54基が確認されており、現地は整備されていて多くの墳墓を確認できます。それらの中で、弥生時代の墳墓を探すと、例えば、1号墳(「墳」になっていますが気にしないで)は、11m×8.3mの方形周溝墓で、中央部には3.5m×0.7mの土壙があります。ただし、副葬品は見つかっていません。

40号墳の墳頂から1号墳を見る

 3号墳は、一辺が10~11mで、やはり、主体部は1基ですが、平面形は楕円形状を呈した長方形です。

3号墳

 たくさんの墳墓が復元されており、どれが古墳でどれが方形周溝墓なのか分かりづらいですが、おそらくこのように土壙を表現しているのは方形周溝墓ではないかと思います。

3号墳

 9号墳は、弥生時代の終わり頃の築造で、規模は9.5m×9.3です。

9号墳

 9号墳は個別の説明板が設置してあります。

9号墳の説明板

 王山古墳群の中でひときわ大きくて目立つのが40号墳です。そのフォルムから私は古墳とばっかり思っていたのですが、鯖江市教育委員会が作成した王山古墳群のリーフレットを参照したところ、実は弥生時代中期末に築造された古墳群で最古の方形周溝墓でした。

 

 東西23.5m×南北21mという大きさも見事ですが、高さが3mというのも驚きで、私のイメージでは方形周溝墓はこれほど高さはありません。ですので、確かに墳丘の形は方形で、周溝がめぐっていることから、方形周溝墓と呼んでも良いと思いますが、むしろ、ふつうに弥生墳丘墓と呼んだ方がいいんじゃないかと思います。

 主体部の調査がされていないのが残念ですが、中期末に鯖江を中心とした平野部の広範囲を治めた王の墓として見るべきものだと思います。

 以上、王山古墳群は、このように方形周溝墓群の復元を見られるというところが特に貴重で、しかもそれが古墳と一緒くたになっているところも面白く、全国の方形周溝墓群の復元整備の中でもトップクラスの良い場所です。ホーケーシューコーバーであれば絶対に訪れて欲しい。

 ちょっと到達しづらい場所ですが、カーナヴィがあれば行けると思うので、駐車場もありますから近くに行ったときはぜひお立ち寄りください。

 参考 ⇒ 王山古墳群のリーフレット(鯖江市教育委員会/編)

 

 

 

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