古墳の石室の変遷

最終更新日:2023年11月18日

竪穴系横口式石室

 3世紀半ばに古墳が登場した時は、竪穴式石槨や竪穴式石室と呼ばれる主体部を持っていたが、北部九州では、4世紀後半(あるいは4世紀末とも)に佐賀県唐津市の谷口古墳にて、竪穴系横口式石室の登場を見る。

 竪穴系横口式石室がどんな構造になっているのかを知るには、福岡市博物館に展示してある鋤崎古墳(前方後円墳・62m)の石室の実物大レプリカを見ると理解しやすい。

 石室は従来の竪穴式石室と同様、前方後円墳であれば後円部の中心に設けられる。

福岡市博物館にて撮影

 従来の竪穴式石室であれば、石室の外側は封土に覆われるため、二度と開けることはできない。つまり、追葬はできない(不可能ではないが困難)。

 ところが、竪穴系横口式石室の場合は、この石室の小口側一辺に出入口が設けられている。

福岡市博物館にて撮影

 その後登場する横穴式石室の場合は、この出入口の外側には羨道という廊下部分があり、その先には外側との出入口がある。出入口は、埋葬後は扉石あるいは河原石などの閉塞石で塞がれるが、それを取り除けば追葬が容易だ。

 ところが、竪穴系横口式石室の場合は、この出入口の外側はこうなっている。

福岡市博物館にて撮影

 横穴式石室と違って外部との出入口が水平方向に無いのだ。

 埋葬時は、この部分が穴ぼこになっていて、初葬者の遺体を納める際には、一旦竪に降りた後、石室の出入口をくぐって埋葬する。この竪穴を開けておけば、追葬ができる。鋤崎古墳の場合は、2度追葬が行われ、2度目の追葬の際に、この竪穴を完全に土で埋めてしまった。

 図化するとこうなる。

福岡市博物館にて撮影

 

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谷口古墳|佐賀県唐津市

 竪穴系横口式石室を日本で最初に導入したと考えられているのが、AICTにて2023年11月の現地講座で訪れた佐賀県唐津市の谷口古墳だ。

佐賀県唐津市・谷口古墳

 谷口古墳は、後円部に2基、前方部に1基の主体部があり、後円部の2基が竪穴系横口式石室で、それぞれ長持形石棺が納められていた。

 既述した鋤崎古墳では同じ石室に追葬が行われたが、谷口古墳では追葬者のために新たに主体部を構築しており、一つの石室で追葬が行われていない。折角従来に比べて追葬が容易な主体部を造ったのにもかかわらずなぜだろうか。

 なお、4世紀後半の古墳に長持形石棺が納められていたというのはこれはこれで問題だ。なぜならば、谷口古墳の築造時期は、畿内最古かつ最高グレードの長持形石棺を内蔵する津堂城山古墳の築造よりも早いかも知れず、そうすると、畿内の長持形石棺の系譜ではなくなってしまう可能性がある。

 長持形石棺に焦点を当てるとまた別の論に展開するため、本論では、ひとまず長持形石棺の話は置いておいて、石室の話に絞る。

公民館にある谷口古墳の長持形石棺のレプリカ

 

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老司古墳|福岡市南区

 谷口古墳に続いて、5世紀初頭には福岡市南区の老司古墳や既述した鋤崎古墳が造られた(鋤崎古墳は4世紀末の築造との見解もある)。

福岡市南区・老司古墳

 老司古墳は石室はおろか、墳丘内に立ち入ることもできない。

 

56
釜塚古墳|福岡県糸島市

 5世紀前半、北部九州では横穴式石室を内蔵する古墳の築造が始まっていたが、その頃になっても竪穴系横口式石室を持つ古墳が造られた。

 釜塚古墳は56mの円墳で、九州の円墳としては大きい部類に入る。

福岡県糸島市・釜塚古墳
釜塚古墳の石室(「竪穴系横口式石室小考」<土井基司/著>)より転載

 釜塚古墳では石見型木製品が検出されている。

福岡県糸島市・釜塚古墳

 石見型と言えば、石見型埴輪が有名だが、石見型埴輪は6世紀に盛行するため、それよりも早くこの地では石見型の装飾を行っていたことになる。

 なお、こういう木製品を「木製埴輪」と呼ぶ研究者がいるが気持ち悪い。埴輪は埴(粘土)製の物じゃないと嫌だ。「木製の粘土で作ったもの」ってどう考えてもおかしいでしょう。

  

14
大塚山古墳|長崎県壱岐市

 竪穴系横口式石室は、5世紀後半には壱岐にも波及し、大塚山古墳が築造された。

長崎県壱岐市・大塚山古墳(AICTでは2023年3月と11月の現地講座で訪れた)

 大塚山古墳は、壱岐最古の古墳といわれ、竪穴系横口式石室に入れる貴重な古墳だ。

長崎県壱岐市・大塚山古墳

 後述するように5世紀初頭には北部九州で横穴式石室が造られるが、壱岐や対馬では5世紀の横穴式石室は(おそらく)見つかっていない。壱岐で巨石を使った横穴式石室墳の築造が爆発的に増加するのは6世紀後半である。

 横穴式石室が朝鮮半島の影響を受けて成立したものであるのなら、壱岐や対馬がだいぶ遅れるというのはいったいどういうことだろうか。

 

横穴式石室

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横田下古墳|佐賀県唐津市

 古墳ファンが大好きな横穴式石室で最古のものは、唐津市の横田下古墳といわれ、5世紀初頭に築造された円墳だ。

佐賀県唐津市・横田下古墳(AICTにて2023年11月に探訪)

 残念ながら石室に入ることができず、しかもカメラを突っ込んでもまったく撮れない。

佐賀県唐津市・横田下古墳

 

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藤の森古墳|大阪府藤井寺市

 畿内における最古の横穴式石室を内蔵した古墳としては、奈良県平群町の椿井宮山塚古墳(円墳・26m)や大阪府柏原市の高井田古墳(円墳・22m)、そして大阪府藤井寺市の藤の森古墳があげられる。

 藤の森古墳は墳丘は破壊されたが、石室がアイセルシュラホールの敷地内に移築されている。

藤の森古墳石室の移築復元(AICTにて2023年2月に探訪)

 復元とはいえ、百舌鳥古市古墳群で唯一見学できる石室で大変貴重。

藤の森古墳石室の移築復元

 これら畿内の初期横穴式石室墳の3基はいずれも大型古墳とは言えない円墳で、5世紀後半の畿内ではまだ大型の前方後円墳が築造されていたが、初期の横穴式石室を導入した古墳が大型前方後円墳でないところが、横穴式石室の畿内移入の史的背景を示唆していると考える。

 

66
市尾墓山古墳|奈良県高取町

 これにワンテンポ遅れて、6世紀初頭には奈良県高取町の市尾墓山古墳が築造された。

奈良県高取町・市尾墓山古墳(AICTにて2021年6月に探訪)

 普段は石室は外から覗くだけだが、どうやら毎年7月に公開が行われるようだ。 

奈良県高取町・市尾墓山古墳

 

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