【AICT開催レポート】第116次現地講座「関東戦国史 結城合戦」

 2023年11月19日(日)、茨城県を中心に現地講座を催行しました。テーマは結城合戦です。

 

 結城合戦とは、鎌倉公方の足利持氏が殺害された翌年の1440年、持氏の遺児・春王丸と安王丸が挙兵し、結城氏朝に迎えられて結城城に入城し、幕府の派遣した軍勢と1年ほど戦った合戦です。

 関東地方の戦国時代のはじまり前夜といった時代です。

 今回の現地講座では、春王丸・安王丸の挙兵から結城城入城までのゆかりの地を訪ねました。実際に現地を訪れたことにより、本を読むのとはまた違ったイメージが湧いたことと思います。

 以下、探訪箇所を列挙します。

 

① 
爪黒神社|茨城県桜川市

 永享12年(1440)3月3日(4日説もある)、持氏の遺児春王丸と安王丸が持氏の遺臣たちとともに常陸国の木所城(茨城県桜川市)で挙兵し、安王丸が総大将に奉じられました。木所城の場所は判明していませんが、橋本城ではないかと言われています。その橋本城跡は山の上なので、麓の爪黒神社を参拝しました。

 爪黒神社の祭神は磐長姫命。神社の由緒によると、地頭太田伊勢守貞経が応永年中(1394~1427)に橋本山に城郭を構え、応永32年(1425)にその鬼門に当る大手先に静岡県松崎町の雲見浅間神社の磐長姫命を奉遷し城の守護神としたといいます。

 

 


鴨大神御子神主玉神社|茨城県桜川市

 祭神は主玉神、太田々根子神、別雷神。

 挙兵した安王丸らは、同月4日には木所城にほど近い当社で戦勝祈願を行いました。

 奉納した人物の名は「御代衆景助」で、景助という名前の武士が代理を務めたことが分かりますが、「助」を通字に持つ簗田氏の人物であると考えられています。簗田氏は、のちに古河公方の有力家臣となる一族です。

 

 

ランチ
魚勝|茨城県桜川市

 リーズナブルな価格で美味しい手打蕎麦をいただきました。

 

 かもせいろ(並)の特盛が1300円!

 

③ 
長方南の鎌倉街道|茨城県桜川市

 地元で鎌倉街道と呼ばれている古道跡。中世古道の雰囲気が残っています。

 結城合戦の前段、春王・安王らはここを通過して西へ向かったはずです。

 

  

④ 
小栗城跡|茨城県筑西市

 桓武平氏の小栗氏は、12世紀からこの地で代を重ねましたが、応永30年(1423)、14代満重のとき、鎌倉公方持氏と戦い没落。

 永享12年(1440)の結城合戦の前段では、木所城に10日間滞在した春王丸・安王丸らは、周囲にその存在を知らしめながら、4月13日には小栗城へ移動しました。タイミング的に、小栗氏没落の後なので、小栗城は空き家状態だったのでしょう。

 結城合戦後、小栗助重が結城城攻めの勲功により小栗城を回復しました。

 

 


伊佐城跡・観音寺|茨城県筑西市

 独眼竜政宗の伊達氏の先祖の地です。

 『吾妻鑑』によると、文治5年(1189)8月の奥州藤原氏討伐における阿津賀志山の戦いで、常陸入道念西は、子息である常陸冠者為宗・同次郎為重・同三郎資綱・同四郎為家らとともに活躍しており、伊達家では、この確実に実在人物であることがわかる念西の名を朝宗とし、高祖としています。

 念西の本貫地は、伊佐郡だと思われ、念西は伊佐を名字としていた可能性があります。伊佐氏は、平安時代には常陸国の在庁官人を勤める家系でした。

 南北朝時代、伊達行朝は南朝側として戦いましたが、伊佐城は興国4年(1343)に落城しました。

 結城合戦の前段で、春王丸・安王丸らが小栗城の次に移った場所が伊佐と伝わりますが、それが今の伊佐城跡であったかは分かりません。

 

 

⑥ 
結城城跡|茨城県結城市

 永享12年(1440)4月21日、春王丸・安王丸らは結城氏朝に迎えられ結城城に入り、盟主の安王丸は、結城城から各地へ檄を飛ばしました。世に言う、結城合戦の始まりです。

 結城氏は、藤原秀郷の子孫・小山政光の三男・朝光に始まり、鎌倉時代は代々結城を本拠地としました。朝光以来の本拠地は、結城城の南南西約4㎞の地点にある「城の内」と呼ばれる館跡の可能性が高いですが、1360~70年頃になると、結城城を本城としたことが周辺の寺院の創建年代から推測できます。

 平城で、現在は周囲との高低差があまりなく、防御力は高そうには思えませんが、実際には要害堅固な城でした。

 

 

⑦ 
結城蔵美館|茨城県結城市

 郷土資料館的な展示内容で考古遺物もちょっとだけあります。

 

 この土偶は素晴らしい逸品です。

 

 

⑧ 
小山御殿広場|栃木県小山市

 近世になり、徳川将軍家が日光へ詣でる際の休憩所として建てられました。小山市役所の隣に広々とした気持ちの良い空間が広がっています。

 ※到着した時にはすでに日没後で真っ暗でしたので、当日の朝撮影した写真を掲載します。

 

 



 

 

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