おかん塚古墳|長野県飯田市【AICT開催レポート】第118次現地講座「南信の縄文と飯田古墳群」その12

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おかん塚古墳

 上溝天神塚古墳につづいて、おかん塚古墳を目指します。

 あ、あれだ。

 

 近くに見えていますが、ぐるっと回って行かないとなりません。

 踏切では飯田線。

 普通の213系です。

 しかし、「普通」って変な言葉ですよね。

 「普通の人」とか、「こう考えるのが普通」とか、なんか普通って多数派を形成してマイノリティを貶める響きを持った嫌な言葉に感じますし、人を小馬鹿にしているようにも思えます。

 思い返せば、我が人生は自ら望んだ結果ではなかったが、「普通」とは程遠い人生となってしまった・・・

 いやしかし、これは実は自分自身が望んでいた理想の生き方なのかもしれない・・・

 着きました。

 一見すると円墳か方墳かに見えます。現状は20mほどの大きさですが、元々は50mほどの前方後円墳でした。前方部は湮滅してしまったのです。

 なくなってしまった前方部にも石室があったんですね。

 現在残っている後円部の石室は天井が高く、巨石を使っていますし、パッと見でヤマトの石室のように見えます。

 

 羨道は少しかがめば歩いて通れます。

 玄室の天井は図面の通り高いですね。

 奥壁は6段かな。

 先ほどはヤマトの石室っぽいと思ったのですが、鏡石にとびきりの巨石を使っているわけではありませんね。

 しかし、先ほど見た姫塚古墳とは築造時期がほぼ変わらず、距離も歩いて数分しか離れていないのにこの極端な石室の構造の違いは一体何なんでしょうか。

 こういう違いが楽しめる所が、飯田古墳群の石室めぐりの面白さのひとつだと思います。

 さ、車に戻りましょう。

 これも古墳だな。

 


愛宕山大権現

 気になる神社があるので寄ってみます。

 愛宕山大権現・・・。

 ヤマトタケル出た!

 しかしここでは、日本武尊の弟・稚彦(わかひこ)王が主役です。

 稚彦王は別動隊を率いたんですね。駿河野原で火攻めに会った話は、日本武尊の焼津での事績と一緒です。

 こういう地方伝承は面白いですね。

 ※註:稚彦王の像と石碑があるのは、帰宅して写真を編集しているときに気づきました。お腹ペコペコのせいで意識が朦朧としており、現地では気づきませんでした。

 

妃の鮎

 車まで戻ってきました。

 ちょうど12時です。ご飯を食べに行きましょう。

 姫塚古墳から車で数分の場所にある妃の鮎というお店にやってきました。

 

 飲み屋のようですが、ランチもやっているようです。

 入店するとちょうど8人くらいの団体が入った直後らしく、テーブル席は空いていませんでした。ところが、大将が私たち4人分のスペースをカウンターに作ってくれて、無事に座ることができました。

 ありがたい。

 私はブリの味噌焼定食。

 

 こういうのって普段食べられないから嬉しい。

 デザートまでつくというのもこれまた嬉しいですね。

 

 料理も美味しいし、お店の方も親切で良い店です。

 こういう店には、夜に飲みに来れたらいいなあと思いました。

その13はこちら

 



 

 

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