大日山35号墳|和歌山県和歌山市【AICT開催レポート】第113次現地講座「紀氏の奥津城・岩橋千塚古墳群と紀ノ川流域および泉南の古代史」

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大日山35号墳

 2023年11月3日(金)から3日間の行程で開催したAICTの第113次現地講座では、国指定特別史跡・岩橋(いわせ)千塚古墳群を歩きました。

 

 その中の1基である大日山35号墳は、6世紀に築造された墳丘長100mを誇る和歌山県最大の前方後円墳です。

 ※なお、2022年2月にも個人的に訪れているため、本ページで使用する写真は両方の時のものです。
 ※2024年1月の現地講座でも本古墳を訪れます。

 古墳群に登る前に麓にある紀伊風土記の丘資料館を見学して、14時10分に資料館を出発し、最終ポイントである大日山35号墳が見えてきたのは16時頃でした。

 いよいよ大日山35号墳です。

 バーン!

 鉄塔じゃまーっ!

 仕方がないです。文句言わない。

 大日山35号墳はこのようにほぼ南北の軸で築造されており、前方部を南に向けています。北側麓の紀ノ川方向(和歌山平野方向)には後円部が向いているわけですね。

 この大日山35号墳の魅力は墳丘からの眺望と東側造出の復元です。

 まずは、東側造出に行ってみましょう。 

 いろいろな埴輪が並んでいますね。

 実際の検出状況は上の説明板の通りで、ここには完全に再現しているわけではなく、分かる範囲でやっているようなスタンスです。

 資料館にも展示してある通り、大日山35号墳には他に類を見ない珍しい埴輪が並べてありました。

 その一つが翼を広げた鳥形埴輪です。

 和歌山平野上空に向かって飛んでいくようなイメージで2羽が見つかっていて、本物はこちらです。

 2023年11月の現地講座で資料館に訪れた時は特別展をやっており、展示内容が通常と違いました。そのため、そのとき見られなかった埴輪を紹介しますと、もう一羽はこういう状態です。

 だいぶパーツが少なかったんですね。

 力士の埴輪がいますが、力士はこうです。

 お顔が拝見したかったですがありませんでした。でもやっぱり左手を上に挙げています。現代の相撲の土俵入りの時のポーズと似ています。四股を踏む動作の埴輪はありませんが、四股を踏むのは地霊へ対する祭祀と関係しているため当時もやっていたはずです。

 水鳥の実物はこちらです。

 可愛いですね。

 東側造出を角度を変えて見てみます。

 家形埴輪の本物はこちらです。

 現地の復元には千木も乗っています。

 東側造出には珍しい牛形埴輪もありました。

 牛形埴輪は、全国でも10例ほどしかみつかっていません。

 さて、翼を広げた鳥形埴輪と並んで特異なものとして、頭の前と後ろに顔のある人物埴輪があります。

 日本書紀の仁徳紀では、飛騨に「両面宿儺(りょうめんすくな)」と呼ばれるこのようなイメージの豪族がおり、朝廷によって討伐されていますが、飛騨では英雄と伝わっているようです。それを彷彿とさせる人物埴輪ですが、これは一体何を表しているのでしょうか。

 二つの顔の入墨表現は違います。

 ただし、この埴輪は西側造出で見つかっており、西側造出は埴輪の復元展示はありません。

 私的には九州の装飾古墳のデザインとして現れる双脚輪状文(そうきゃくりんじょうもん)の形をした冠帽をかぶったこの埴輪も面白いと思います。


 以上のように、大日山35号墳は非常に面白い埴輪が見つかっている古墳なわけですが、つづいて墳丘からの眺めを楽しんでみましょう。

 後期古墳であるからというより、元々の地形のためでしょうか、前方部が高いです。前方部から後円部を見てみましょう。

 つづいて周りの景色です。

 西側の和歌山市街地方面。

 北側を見ると、和歌山平野を流れる紀ノ川の堤防が一直線に伸びているのが良く見えます。

 反対の南側。

 高速道路が見えますね。

 もう一度和歌山市街地方面を見ます。

 実は、和歌山城の天守が見えるんですが、分かりますか?

 ここにあります。

 皆で視力検査みたいになりました。

 奥の方に見えている山は淡路島だと思いますが、あの平たい島は沼島でしょうか?

 大日山35号墳は、残念ながら横穴式石室には入れないのですが、このように復元された埴輪と眺望で十分楽しむことができる古墳です。

 この後は、余力があればさらに他の古墳まで足を延ばしても良いですが、多分、ほとんどの人はもう帰りたいと思っているはずです。

 結局、麓に戻ったのは17時でしたから、岩橋千塚古墳群探訪には2時間50分ほど時間を使ったことになります。

 ちょうどよい感じの歩きですね。



 

 

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