雀宮神社・雀宮牛塚古墳跡|栃木県宇都宮市

 AICTにて2024年2月3日に開催した下野型古墳の現地講座のあと、私は小山に居残って、翌日は宇都宮市と上三川町の古墳を見てきました。

 宇都宮・上三川探訪は、2月3日の朝に思いつき、急遽ホテルを予約。素泊まり4880円で、小山駅前の「ホテル ニューカシワ」に泊りました。

 小山駅西口ロータリーそば。駅からのアクセスはバッチリです。

 昭和な感じのホテルが好きな方にはとくにお勧めします。

 いつもは早朝から行動するのですが、油断してしまい、7時半に起床。

 というか、朝早くから行動するとつい長距離を歩いてしまうため、無理するのはやめようという気があり、元々早起きするつもりがなかったのが真相です。

 本日めぐる場所をちょっと調べ、8時半に出発です。

 まずは、小山駅から雀宮駅まで行きたいですが、次の宇都宮線まで少し時間があるため、小山駅構内で「亜撮鉄活動」です。

 貨物列車が来ました。

 水戸線の勝田行き。

 宇都宮線。

 地方に行ったときには、珍しいこともあって列車の写真を撮ることが多いですが、意外とこういう普段見慣れている列車の写真は撮っていないので、今後は機会があれば撮っておこうと思います。

 こういう列車もあと何十年かしたらレトロな電車になりますからね。

 


雀宮神社|栃木県宇都宮市

 雀宮駅にやってきました。

 電車に乗ってから、雀宮って国鉄の駅名になっているくらいなので、地元の有力神社かも知れないと思い、地図で調べると駅から近いので、本日はまずは雀宮神社から探訪します。

 昨日はポカポカ陽気で遺跡めぐりには最高のコンディションだったのですが、今日は曇り空で寒い。昨日と違い、手袋が必要なレヴェルです。

 住宅街の中を歩いて行くと雀宮神社がありました。

 神社の西側には、南北方向に国道4号線(日光街道/奥州街道)が走っており、周辺は江戸期の雀宮宿が展開しています。参道は街道方面に向けています。

 雀宮神社は大きな社殿の神社ではないですが、敷地や駐車場は結構広いので、祭礼の時には結構な人で賑わうのでないでしょうか。

 お、祭神は御諸別王ですよ。

 日本書紀の景行紀によると、崇神天皇の曾孫にあたる彦狭島王は、東国の支配を任されて下向するのですが、旅の途中で亡くなってしまったため、その子の御諸別王が父に代わって東国に下向したとあります。

 こういう伝承は私は事実を含んでいると思っており、例えば群馬県太田市の太田天神山古墳のように、いかにも「ヤマト的」な大型前方後円墳が築かれる地域には、ヤマトの王族が下向して支配者となったケースが多かったのではないかと思います。

 その場合は、中世の武士がよくやったように、在地勢力に婿入りという形で収まったのではないかと考えていますが、御諸別王もそういう人物であると考えられ、東国では人気の高い王族で、神社の祭神にもたまに見られます。

 ただ、こういう説明をしただけでは、雀宮神社の説明をしたことにはなりませんね。

 スズメとはいったい何なのかとか、考えるべきことはたくさんありますが、今日は思い付きで来たのでこれ以上は語れません。

 

56.7
雀宮牛塚古墳跡|栃木県宇都宮市

 雀宮神社を出て、南へ向かいます。

 途中、セブンでカレーパン(レジ横の肉まんとかの横に並んでいるカレーパンは美味いですよ)を買い、食べながら歩いていると、ブログ「古墳なう」さんのページで見た墓地がありました。

 前方後円墳データベースによると、ここには8期(6世紀前葉)に築造された雀宮牛塚古墳という墳丘長56.7mの前方後円墳がありますが、「古墳なう」さんによると、墳丘はすでに湮滅して、石室の石と言われるものが置かれているだけということでした。

 これですね。

 確かに天井石っぽいです。

 前方後円墳データベースを見ると、埴輪は円筒Ⅴ式ですし、副葬品は武器類や馬具が多く、後期古墳であることは確実だと思われますが、もっと古い古墳から見つかることが多い画文帯神獣鏡が1面含まれているのが興味深いです。

 墳丘はほぼ南向きでした。

 現状は完全に墓地です。

 ※註:帰宅後に『茂原古墳群』(宇都宮市教育委員会/編)を読んだところ、そこには墳丘図も載っていて、出土した須恵器は5世紀後半段階の特徴を有するとあります。

 ではつづいて、東谷古墳群を目指します。

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