本佐倉城跡 荒上
八幡神社の境内の東側道路(一部は当時の空堀と重なる)を挟んだ向こう側は、本佐倉(もとさくら)城の外郭にあたる荒上(あらうえ)という場所になります。行政区画も佐倉市ではなくて酒々井町となります。
つづいてはその荒上にある遺構を確認してみようと思います。
ではここで、本佐倉城の鳥観図をご覧ください。
この図の荒上に二つの虎口がありますが、西側の虎口に行ってみます。
歩いて行くと道が屈曲している個所が現れましたよ。
城好きの人なら、こういう場所は堪らないと思います。
ありました。
左手に空堀。
ここが虎口です。
右手にも空堀があったはずですが、今はありません。
上記した鳥観図では土塁が描かれていますが、荒上の西から南にかけては、全体的に空堀と土塁が構築されていたはずです。
虎口というのは、曲輪の出入り口のことで、南北朝時代以降、城郭が発展するに従い技巧化していき、単純に直線の出入口ではなく、通路を屈曲させているのは、中世でも古い城には見られないか、もしあっても珍しいはずです。
ただし、桝形状や馬出状にはなっていなかったようです。
今度は荒上の内側から虎口を見ます(右手が空堀です)。
では続いて、もう一か所の虎口の西側にある土塁が突出している部分を見に行こうと思います。
荒上の南側に土塁が突出している部分がありますね。
上の説明板には記されていませんが、パンフレットには「出桝形」と記されています。ただし、通常桝形には出入口が設けられていますが、そこには無くて、役目的にはその東側にある虎口や西側に対する横矢攻撃のための構築物だと思います。
そこへ行くには、荒上内の道路は無いようなので、一旦城の外に出ます。
少し歩くと森が見えてきました。
遠くから見ても明らかに森の手前部分が直線状に窪みになっているのが分かります。
しかもここの部分だけ森が突出しているのです。
畑と畑の間の道を進んで確認すると、見事な空堀がありました。
でも荒れていてほとんど見えません。
写真を撮って他人に見せても「何だか分からない」と言われる典型的な例ですね。
撮った本人は現地を見ていますから、空堀の向こうに数メートル高い構築物があることが分かります。
堀に降りれる場所を探してみますが、ちょっと無理。
堀底まで到達できません。
でも眼前に鳥観図で描かれている突出した構築物があるということをイメージすると、非常にエキサイトします。
もう一度確認してみてください。
ここの東側には直線状の虎口があるようですが、確認はできませんでした(荒上の内部からは確認できるようですが、史跡範囲外ですし、今回は遠慮しました)。
しかし、まだ本佐倉城跡の一部を見たに過ぎませんが楽しかったです。
やっぱり城はいいですね。
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