老松場古墳群・月見松遺跡|長野県伊那市【AICT開催レポート】第118次現地講座「南信の縄文と飯田古墳群」その4

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老松場古墳群|長野県伊那市

 老松場(ろうしょうば)古墳群に到着しました。

 時刻はもう16時。

 夏ならまだまだ行ける時刻ですが、この季節はそろそろゲームオーヴァーです。

 しかも、伊那谷は東西に日本最高級の山脈がありますから西側の山脈によって早めに陽の光が遮られてしまいます。

 山脈の内側に太陽が沈めばよいですが、それはそれで問題です。

 説明板は全体図のみのようで、古墳について詳しいことは書いていませんね。

 老松場古墳群は、このように8基の古墳からなります。

 駐車場側から見て一番目立つ古墳が前方後円墳の1号墳です。

 さっそく墳丘に登ってみましょう。

 後円部墳頂から前方部を見ます。

 前方部側のすぐ南側には円墳の2号墳があります。

 1号墳を前方部側から見ます。

 1号墳は30mほどの墳丘規模で、かつては双円墳と言われていました。

 双円墳だったとしたらむしろ大変珍しいわけですが、それに対して近くにある東春近小学校の6年生の子たちが異議を唱えたのです。あれは前方後円墳ではないか?と。

 それを受けて伊那市は2017年より調査を開始し、結果的には前方後円墳で落ち着いたわけですが、何と最初の測量調査は上述の6年生たちがやったのです。それを専門家が前方後円墳であると追認したわけです。

 築造時期は5世紀前葉とされ、松島大墓古墳のページで述べた通り、上伊那においては前方後円墳は大変貴重な古墳です。

 あれは4号墳か?

 各古墳に「何号墳」という立て札でも立ててくれるとありがたいですが、そういうものはありません。

 もう一度2号墳。

 2号墳は径15mの円墳で、5世紀後半の築造と考えられています。

 駐車場側から歩いて行くと、一番奥にある7号墳が目立っていますね。

 7号墳は高さが3mある立派な古墳で、帆立貝形の可能性も考えられていますが、今のところは円墳とされています。

 1号墳と7号墳以外の6基は円墳ですが、地元では低墳丘墓と呼ぶこともあります。

 実際に現地で見ても地膨れ程度のものもあり、夕方で暗くなっていたこともあって、8基すべては確認できませんでした。

 皆さん7号墳に登っていますね。

 老松場古墳群も他の古墳と同様に段丘崖の縁の部分にあります。

 7号墳の墳丘上から南側を見ます。

 尖がって見えますが、本当にこの舌状台地の先端は尖がっており、西側が天竜川方面の絶壁となっています。

 老松場古墳群の調査は、既述した通り2017年度から始まっており、2023年度で第6次調査を終えています。

 それでは、車に戻りましょう。

 1号墳。

 資料不足で何とも言えませんが、古墳が集まっているとはいえ群集墳という雰囲気は感じられません。

 群集墳であれば5世紀なので初期の群集墳となってしまいますが、低墳丘墓と呼ばれることがあることから分かる通り、古墳の周辺に方形周溝墓が造られるパターンに似ているような気がします。ただしここでは方形ではありませんし、では円形周溝墓かというと、周溝の有無も分かりません。

 来年度以降も調査は続けられると思うので、今後面白いことが分かってくるかもしれません。

 


月見松遺跡|長野県伊那市

 もう日の入り時刻を過ぎてしまったため、最後に行く予定の月見松遺跡は割愛しても良かったのですが、とりあえず行くだけ行こうということになり向かいました。

 到着すると周囲はすっかり暗いです。

 でもまだ説明板は読めます。

 月見松遺跡は、つきミンのモデルとなった土偶が出た遺跡ですね。


 月見松遺跡で月見ができました。

 月のすぐ隣に光る物体があって、金星との意見に落ち着きましたが、私的にはUFOだったらよかったのになと思いました。

 時刻は17時。

 これで初日の探訪は全て終了です。

 宿泊場所の飯田へ向かいますよ。

その5はこちら

 



 

 

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